発達障害(ADHD)

発達障害グレーゾーンがADHD診断を受け入れるまでにやったこと【自己理解編】

今でこそ毎日を穏やかに、自分のやりたいことをやれるようになったボクですが、始めからそうだったわけではありません。

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精密検査を受けての結果は「成人型注意欠陥多動性障害(ADHD)」

診断の瞬間は「障害」という言葉の迫力に衝撃は強かったです。
しかし、それ以上に意味不明な状況から解放される安心感の方が大きかったのを今も覚えています。

さて、状況がわかったところでどうするか。
2018年は自分と向き合い、発達障害について理解するところから始まりました。

今回の記事は、ボク自身が障害を受け入れるためにやっていたことを具体的に書いていきたいと思います。

 

2017年12月 ADHD診断直後混乱期

  • 5日にADHD診断を受ける
  • 診断書を持って上司と面談
  • 1月から店長を辞めさせてもらうものの、会社には残留が決定
  • 六本木を離れるために新しい部屋を探す
  • ツイッターを始める

当時、ボクは六本木の飲食店で店長をやっていました。
店の近くにマンションを借りて24時間仕事に集中できるような環境を作り、とにかく仕事優先。
自分がやりたくて選んだ仕事だし、新しい店舗で店長を任せていただけるということもあり、すべてを仕事に捧げる覚悟で自分が選んだ道でした。

結果的にはそれが裏目に。
精神状態はかなりギリギリで、仕事に行くことすら怖くなっていました。
軽いうつ状態だったのかもしれません。

病院に行ったきっかけは上司の言葉。
あまりにもミスを繰り返し意思疎通ができな部下に疑問を持ち、発達障害を疑ったのだそうです。
そういう流れもあったので、診断を受けたその日に上司と面談をしました。

始めは「気持ちの問題なんでしょ」という反応でしたが、最後は聞き入れてくれて、1月から店長を辞めて一般社員として働いていくことに。
最悪、クビになることも覚悟していたのですが、とりあえず一安心。

やれることからやってみる。

仕事だけでなく生活環境も変えてしまおうということで、部屋探しも始めました。
店の近くに住むのは通勤時間がなくて楽になる反面、仕事と私生活の区切りがなくなってしまい、常に仕事のプレッシャーから解放されないという状況も生んでいたので。

情報収拾をする目的でツイッターアカウントを作ったのもこの頃。
周りに当事者の方がまったくいなかったので、とにかく孤独で不安だったんです。
その日あったことや、疑問に思ったことをSNS上にひたすらつぶやいていました。

 

2018年1月 引きこもり自問自答期

  • 店長から一般社員になる
  • 六本木から阿佐ヶ谷に引っ越す
  • 仕事以外は自宅にこもってひたすら自分と向き合う
  • ツイキャスを始める

店長を辞めたこともあり、仕事にはかなり余裕ができました。
できた時間は専門書を読んだり、自分と向き合うことに使っていました。
ADHD診断によって今まで目指していたものがなくなってしまったので、生まれ変わったつもりで人生を考え直そうと決めたんです。

人付き合い、時間の使い方、仕事への向き合い方、持ち物、食べ物、場所。
自分に関わりのあるすべての物事に対して、今の自分に必要なのかどうかを問い直す作業をひたすらやる。
そして、その経過をツイッターで発信し続ける。

たった4畳のシェアハウスに引っ越すということもあり、身の回りのものは徹底的に断捨離。
飲み会の誘いも行きたくない時は断るようにしました。
以前なら飲み会の誘いがあったら必ず参加していたのに。

先輩の誘いを断るなんて意味がわからない、みたいな超体育会気質だったのですがねぇ。
それで嫌われたりしても、それはそこまでの関係だったってこと。

今は自分を守ることが何よりも大事。
絶対に無理はしないと心に決めていました。

阿佐ヶ谷に引っ越したことでさらに仕事とは物理的な距離もできました。
通勤に1時間ほどかかるようになったものの、その時間がちょうどいいスイッチに。
おかげで自宅に仕事の感情を持ち帰ることがほとんどなくなりましたね。

捨てるだけ捨てたことで新しく入ってくることもありました。
特にツイッターの効果は最高でした。
下手なカウンセリングや互助会に入るぐらいならツイッターをやっていた方がよっぽど効果的だし、場所を選ばないし、おまけにタダ。

ツイッターが楽しくなってきたのでツイキャスも始めました。
ラジオのDJばりにひとりしゃべりを配信し続けました。
毎週1回続けていくうちに、じわじわとリスナーは増えていって、固定客みたいな方まで現れました。
自分が好き勝手しゃべったことに反応が返ってきたり、わからないことがあってもその場で質問すればすぐに答えてくれたり。
おかげで、発達障害の知識が増えたし、自分の特性への理解も深まりました。

 

2018年2月 ネットからリアルへ移行期

  • ツイキャスが盛り上がる
  • ネット上の繋がりからリアルの場所へ
  • ハッタツフェス開催決定

SNSのおかげでボクは救われました。

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悩んでいるのは自分だけじゃない。
同じような障害を抱えながらもがんばっている人はたくさんいる。
ひとりじゃないと思えるだけで、人はこんなにも勇気が湧くんだと心強かったです。

その頃、東京では発達障害をテーマにしたバーやカフェのオープンが相次いでいました。
その中の1つが「発達障害BAR The BRATs
自分以外の当事者に会うのはほとんど初めてだったので最初はかなり緊張していたものの、いざ飲み始めたら共通の話題も多く、すぐに打ち解けられました。

しかも、お店に来ていた人から「ツイキャスやってる方ですよね?」と声をかけられたんです。
毎週土曜日に休まず続けていたツイキャス配信は毎回50人を超えるリスナーが集まるほどに成長していましたが、まさか実際に声をかけられるとは思ってもみませんでした。

続けていくことで、少しずつ何かが変わり始めた気がしていました。
できないことはあるけれど、できること・好きなことに集中できたらむしろ強いのかもしれない。
そんな漠然とした可能性を感じ始めていました。

自分の感覚を大切にする。
これだと思ったならすぐに行動する。

そして、ツイッター上であるつぶやきを見た瞬間、電撃が走ったような気がしたんです。
それがこれ。

この3日後、本当にライブハウスを予約してしまいます。
具体的には何も決まっていなかったけど。

その時の気持ちを全部ぶち込んだ映像がこちら。

 

2018年3月 衝動多動過集中爆裂期

  • ハッタツフェス準備(企画・出演者交渉・宣伝・資金集め)
  • 家族にADHD診断を受けたことを告白

ハッタツフェスの開催日と場所は決まったものの、肝心の内容は何も決まっていません。
準備にかけられる時間は約2ヶ月。
すべてが同時によーいドンでスタートしたような感じでした。

思いを伝え続ける。

もちろん普通に週5日はサラリーマンとして働いていたので、仕事が終わった後か休みの日に準備をしないといけません。
進捗状況は毎日ツイッターで発信。
どれだけ仕事が忙しくても土曜日のツイキャスも欠かさずやりました。

そうしていくうちに不思議と出演者だけでなく、運営側として手伝いたいという方が現れ始めたんです。
内容も決まっていないのに思いだけで共感してくれて集まってくれた仲間たち。
顔も知らないもの同士がネット上でやり取りしているだけなのに、そこには確かに熱を感じたんですよ。

自然とボクができていないところは他の人がフォローする体制ができて、イメージだけだったハッタツフェスが少しずつ形になり始めました。

資金面ではクラウドファンディングをすることにしました。
目標金額は10万円。
イベントの趣旨を広く一般の人にも知ってもらうという狙いもありました。

バタバタした毎日の中、先輩の結婚式があり大阪へ。
帰った時に家族にも診断を受けたことを告白しました。
反応は意外とあっさりとしていて

母上
母上
何いうてんのー!
あんた昔からおかしかったでー!

みたいなご機嫌なノリで受け入れられました。

緊張して損した。
でも、家族が味方でいてくれるのはありがたかったです。

 

2018年4月 勢いだけではよくないと反省期

  • ハッタツフェス準備追い込み
  • クラウドファンディング達成

ハッタツフェスの準備を進めていくうちに、批判的な意見があることを知りました。
「結局、何をやるかわからない」
「どうせうまくいかないよ」
「何か事故があったらどうするの?」
「何もわかっていないヤツが発達障害を語るな」
「発達障害のイメージがおかしくなるから目立たないでほしい」

あらゆる手段を使って人を巻き込む。

ボクは成功のことしか考えてなかったので、そんなことを考えもしませんでした。
確かに言いたいこともわからんでもない。
けど、そういう空気感のまま何もしなければ結局何も変わらへんやん。

考えた末に、ツイキャス上で公開質問会をすることにしました。
すべての人に理解されるとは思ってないけど、主催者の責任として可能な限り説明する別だと思ったから。
ツイキャスなので誰でも匿名で自由に質問ができます。
それに対してボク自身がその場で答えていくという形式。

かなり細かい質問もあって、正直ちょっとイラっとしたりもしたんですけど、やってよかったです。
改めてイベントの趣旨や内容について説明できたし、足りていなかったこともわかったし、独りよがりにならないために必要なステップでした。
指摘されたところが改善できれば、さらに完成度が上がるわけですから。

そうこうしているうちにクラウドファンディングがスタート。
中盤苦戦したものの、最後は目標額を超える11万7千円を達成。
この瞬間、ハッタツフェスというものがちょっとしたムーブメントになっているのだと感じました。

関わってくれる人は出演者や運営を含めると20人近くになっていました。
あとはどれだけ集客できるか。
SNSだけでなく、来てくれそうな人が集まる現場に行って、話したりビラを渡したりしながら、地道な宣伝活動を続けました。

 

2018年5月 自己理解完成期

  • ハッタツフェス開催
  • ADHD旅開始

5月6日。
35歳の誕生日の日がハッタツフェスの本番でした。

むちゃくちゃ大変だった。
でも、むちゃくちゃ楽しかった!

何よりも「障害があったとしても、できることを全力でやれば、思いっきり笑えるんじゃないか」という仮説に対して「その通りや!」と自信を持って答えられたのがうれしくて。
しかもそれを見に来たり、一緒に参加してくれた方が「自分にも何かできるかもしれない!」と目を輝かせていたのが最高でした。

誰かの人生の背中を押せたり、何かを始めるきっかけになれるなんてこんな幸せなことはありません。

ご来場くださった観客の皆様。
フェス成功のために尽力くださった出演者、運営の皆様。
この場を借りて改めて最大限の感謝の気持ちを。

本当にありがとうございました!

35歳の誕生日は生きていた中でも1番特別な日になりました。
生まれ変わって新しい人生が今から始まるんだ、みたいな。
不思議な高揚感でした。

もう自分にとっては障害があろうがなかろうが関係ない。
これからも自分がやれることを、目の前の人のためにやっていく。
1人でも多くの人を笑顔にしていくことが自分の生き方。
これからは人生そのもので誰かを応援できるぐらいの人になろう。
そして、自分が1番楽しんでやる。

これが半年間自分と発達障害に向き合い続けて出した答えです。

医者からの説明や試行錯誤の積み重ねで、ADHD特性への考え方や対処の仕方は(技)理解できていました。
仕事を減らしたことで体も回復。
ハッタツフェスをやりきったことで、そこに心が追いついたんですよね。
心・技・体のバランスが安定したおかげで次のステップへ進む準備ができました。

それからはまた一般社会で自分を生かす道を模索していくことになります。
働き続けていた職場ではもちろん、ADHD旅と題して日本各地の興味がある場所に積極的に出かけていくようにしました。

環境が人に与える影響力を身にしみて感じた2018年前半。

環境さえ整えば十分に戦えるはず。
自分が生きやすくなる環境を作るためのヒントを探そう。

2018年の後半のテーマはこうして決まったのでした。

後半に続く、、、

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