応援団

勢いで大学応援団に入って4年間続けたら今までの価値観がぶっ壊された

ボクは大学生の時、応援団に所属していました。

どやっ!!

写真は団長をやっていた頃。

非常に調子に乗っておられますね。

応援団への一般的なイメージといえば「怖い」「うるさい」「そもそも何やってんのかようわからん」などなど、あると思います。

全部、その通りです!

まあでも、やっていた人間にしか分からないこともあるわけで。

今回は内側から見た応援団について書いていきます。

10年以上前の話なんで、今とは変わっていたり記憶ちがいもあるかもしれませんが、個人的な体験談としてご容赦いただければと。

 

どうして応援団に入ったの?

まず始めに。

21世紀にもなって応援団に自ら入りたいヤツなんてほとんどいません。

ボクが現役だった10年前でもそうでした。

実際、1回生の時は10人ほどいた同期も、最終的には2人に。

4学年合わせて10人超えたら、すごいなって感じでした。

うちだけでなくどこの大学応援団も似たようなもんで。

部員がいなくなって活動停止になってしまった大学もあるぐらいです。

以前「あすなろ三三七拍子」という小説がドラマ化されてましたが、まさにあんな感じ。

さすがに社会人から団長になる人はいなかったけど、OBが応援の手伝いをしたりなんかは普通にやっていました。

そんな状況ですから、応援団やっていて色んな人に聞かれた質問が

「どうして応援団なんかに入ったの?」でした。

どうしてって言われてもねぇ。

正直、理由なんてない!

なんとなくカッコいいと思って、勢いで入ったとしか言いようがないんです。

ちなみに、ボクの場合は4月1日の入学式のあとに、学ランの人に声をかけられ、そのまま5時間ほど熱烈な歓迎を受けました。

あとになって知ったことなのですが、応援団の新入部員勧誘鉄則はとにかく捕まえたら逃がさない。他の部の勧誘ブースには行かせない、なんだそうで。

当時は田舎から初めて都会の学校に通うことになって浮かれてたんですね。

先輩「学ランのこととかどう思う?」

ボク「中学高校と学ランだったので、特に気になりません!」

先輩「君、才能あるわ!」

こんなむちゃくちゃな勧誘を真剣に聞いていたんですから。

いやー、若かったなぁ。

とにかく、4月1日に勢いで入団を決めて家に帰りました。

入学式を終えて応援団に入団してきた息子に対する母親の言葉は

「あんた、アホやろ」

でした。

 

合宿で応援団はなんたるかを叩き込まれる

勢いで飛び込んだ応援団の世界でしたが、予想をはるかに超える過酷さでした。

入部してすぐの4月中はちやほやしてくれた先輩。

しかし、ゴールデンウィークに行われる合宿で状況は一変するのです。

場所は小豆島。

大阪から電車とフェリーとバスの乗り継いだ先にある瀬戸内の島です。

着いた瞬間、ああもう逃げられないんだな、と悟りました。

世間の皆様がゴールデンな休日を過ごしておられる間、携帯などの通信機器、お菓子やゲームなどの娯楽用品が一切禁止の缶詰合宿。

華々しいキャンパスライフはどこ!?

そんなことを考える余裕がないほど、体力トレーニング、歌唱指導、応援練習が繰り返されます。

応援団って、実はめちゃめちゃ運動量が多いんですよ。

それなのに本番は学ランという運動に適さない装束で行われるため、体力の消耗が激しいんです。

野球応援だとすると約3時間。

ぶっ通しで応援するためにも、基礎体力がないと話になりません。

途中で何度も挫折しそうになるのですが、容赦ない先輩達の檄が飛びます。

大声出しながら動いているので酸欠状態に。

もう自分でも何が何だかわからないぐらい。

でも不思議なことに最後までやれてしまうんですよね。

やっぱり、ひとりじゃないからがんばれる。

一緒にがんばっている同期がいて、怖いけれどなんやかんやで最後まで手を抜かないで付き合ってくれる先輩がいる。

ひとりだと超えられない限界も、みんなとなら超えられる。

これが、応援ってことなんか。

応援の持つ力と意味を身をもって叩き込まれた合宿でした。

 

なんやかんやで応援団やってよかった

応援団のことを自由のない軍隊みたいなとこだ、とか、宗教じみてて気持ち悪い、という人はいます。

確かに、そういう面も否定はできません。

それでもボクは応援団やってよかったと本気で思っています。

今の自分があるのは間違いなく応援団のおかげ。

生来がめんどくさがりの怠け者なところがあるので、応援団やってなかったらそのまま普通に大学生活を送って、それなりに就職して、なんとなく満足したような人生を送っていたと思います。

良くも悪くも、理不尽で不自由な環境に強制的に身をおくことで確実に自分は変わりました。

辞めたいと思ったことは数えきれないくらいにあるけど、それ以上にやりきった達成感の方がデカい。

ひとりでは絶対に味わえない体験も色々とさせてもらいました。

△初めての海外遠征がオリンピック応援とか、今考えてもすげーことです。

喧嘩もしまくったけど誰よりもお互いのことを知り尽くした同期や、辞めそうになった時に引き止めてくれた先輩、いきなりの無茶ぶりに文句も言わず(言わせず)付いてきてくれた後輩、応援団の活動を通して知り合えた友達。

これから何があるかわからないけど、何かあればすぐに駆けつけると決めている仲間もできました。

血と汗と涙とその他諸々。

しんどい、うれしい、苦しい、楽しい、悲しい、あとちょっと感動。

応援団をやっているとすべての感情が100%以上に引き出されます。

おかげで、自分はこんなもんと勝手に作っていた壁は容赦なく破壊されました。

始めは恥ずかしかったんですが、慣れてくれば快感に変わります。

えぇ。多分、ボクはM気質なんです。

20歳前後という人生で最も多感な時期に、本気になって自分のすべてをぶつけられるものがあったというのは本当に幸せでしたねぇ。

自分の中の価値観は確実に広がりました。

卒団して10年。

今でも応援団で得たものはボクの中にしっかりと息づいています。

本気でやることはカッコいい。

本気を出した人間の熱量は自分や世界を変えていく。

心の底から信じられるものがあるからこそ、ブレずに突き進んでこれました。

 

応援団は一生続いていく

たまたま勧誘されて、勢いで入った応援団でしたが、結果的には天職だったようです。

大学卒業後、社会人になってまず就職したのが映像制作会社。

映像コンテンツで笑わせたり、感動させたり、泣かせたりと観客の感情を揺さぶります。

今やっている飲食業だって、食を通してお客様を元気にする仕事。

やっていることは変わっても信念さえ変わらなければ、ボクにとってそれは「応援」なんです。

応援団でエールをきっていようが、映像の編集をやっていようが、店で肉の調理をやっていようが、スタンスは同じ。

目の前の人を元気にしたい。

そして、日本を元気にしたい。

仕事をするってことは、つきつめていけば誰かのために考えて何かをすること。

それってとても応援団的な考え方です。

最終的には自分の生きている姿そのものが誰かの励みになるような存在を目指してます。

こんなヤツでも本気でやれば世界を変えられるんだ、ということを証明したい。

生き様で応援できるようになれば、もう最強ですよね。

死ぬまで一生応援団生活。

貫いていきます。

押忍。

ABOUT ME
六角人
六角人
大阪ド田舎出身。大学応援団、上京して映像制作、からの六本木の焼肉屋。店長になって仕事しまくってたら体調を崩して、34歳にしてADHDの診断を受ける。世の中を面白おかしく、心も体も健康に、自分が本当に生きやすい環境を作ることがテーマ。チサンチショウ企業RKZ代表。地元一番密着メディア「さのいち」編集長。古民家オーナー。