団長Pの推さば推せ!引かば推せ推せ!!

元応援団長が東京で飲食業をやりながら大好きなものをひたすら推しまくるブログ

10年も住んでいるのにまだ東京に馴染めないって恐怖でしかない

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もう10年も東京に住んでいるというのに、いまだに違和感がある。

六本木に住んでいるのもなんか不思議。

住めば都って言葉もあるように、どこに住もうが本質的には変わんないんだけど、やっぱなんか地に足着かない感。

 

東京以外から来た人ってこの感覚をどうやって処理してるんすかね?

教えて教えてー。

 

死にたいくらいに憧れた花の都大東京

 

10年前、大阪のド田舎から東京の国分寺に引っ越した時からボクの東京はスタートした。

徒歩圏内に電車の駅があるのもすごいし、駅前には買い物やら娯楽施設が建ち並んでいらっしゃる。

なんちゅう大都会なんやと思っていたら、国分寺なんかまだまだ23区にも入れていないという事実を知って愕然とした。

ほんならこの中央線に乗っていったらどんなことになるんや、と。

 

たいした稼ぎもないのに、週末になると新宿へ行った。

だって、東京の繁華街といえば歌舞伎町しか知らんかったから。

お金がないもんだから、だいたい深夜2時ぐらいにはどうしようもなくなる。

それでも、眠らぬ街を徘徊しているだけでなんか東京を制したような錯覚になっていた。

そして歩くのに疲れた頃に、花園神社の境内で仮眠をとって、始発で国分寺まで戻る。

 

平日ギリギリまで仕事。週末歌舞伎町。

ボクの東京1年目はだいたいこんな感じ。

 

じわじわと浸食されていく恐怖

敵はよくわからんかったけど、とにかく東京には負けへん、という謎の気概だけはあった。

これは関西人特有のものであるらしい。

 

他の地域出身者は早々と標準語を身につけ、ボクから見たらまったく気付かないぐらいに東京ぶっていた。

正直、いまだに標準語は苦手だ。

自分の気持ちをうまく伝えられない。

 

頭の中はずっと大阪弁な訳で、大阪弁じゃなくなったら、自分が別の人間になってしまうような恐怖がある。

それなのに知らず知らずのうちに標準語の影響を受けている。

東京の人が聞けば「大阪弁」と思うようなしゃべりでも、地元に帰ったら「なんか変なしゃべり方してんな」となる。

 

つまり、今ボクがしゃべっている言語は大阪弁でも標準語でもない中途半端な言葉なのだ。

 

これって、アイデンティティを失ってしまったっちゅうことなんじゃ。

 

開き直って生きていく

東京にも馴染めず、大阪でも浮いてしまう。

もはやボクは何かの集団に属するというのが無理なのかもしれない。

 

多分もう、自分の信じた価値観で生きていくしかないのだ。

とてもやないが人の目なんか気にしてられない。

何をやっても批判を食らうなら、自分のやりたいことをしよう。

 

成功の仕方は自分でしか決められへんのやからな。

 

 

まいどおおきに!